高校生の頃は家業が嫌いで、ボクシング部の練習に明け暮れました。本気で世界チャンピオンをめざしていたのですが、全国大会の決勝で負けてしまい、その道を諦めました。当時はDCブランドブーム。卒業後はデザイナーになりたいと進路変更し、東京の文化服装学院へ進学しました。カレッジライフを謳歌しつつ、徹夜の課題製作も頑張ったと記憶しています。元々手先が器用で美術も得意だったので、ゼロから3年間、“ものづくり”と“マーケティング・MD”など、ファッションの基礎をしっかり学びました。卒業後は高級ブランドを扱うアパレルメーカーに就職し、コミュニケーション能力を活かして百貨店営業やMD・企画などを手がけました。90年代前半までは日本製ニットが市場を席捲していたのに、なぜか若い人たちがあまり着ないという課題がありました。将来を見据えて地場産業の専門技術を勉強し、再び東京で勝負しようと山形へ帰郷。家業の紡績機や編み機と格闘しながら、商品開発の毎日に。ニット産業は、国産からコストの安い中国へ拠点移行する転換期でした。商品づくりのおもしろさを実感しつつ、センスに長けたヨーロッパとの差を探るべく、海外の展示会を視察しました。そこで目にしたイタリア製の糸は、合理化された最新の生産方法ではない、既存の機械をカスタマイズしたもの。そのカッコ良さに衝撃を受け、既成概念にとらわれないものづくりに没頭、2001年NYで「M.&KYOKO」をデビューさせました。米国での展示会ブースは木や綿など自然素材でブランドイメージを演出し、「日本で代々続く紡績会社のアパレルブランド」というストーリーも注目されました。さらに日本から来たバイヤーから「ショップチャンネル」出演の打診があり、国内販売の道が拓けました。90年代、県内に約450社あった紡績・ニット会社も今は20社弱まで減少、日本の花形産業だった大手ウール工場も姿を消しています。ネットビジネス隆盛の今日ですが、AIの発達によって10年、20年後のファッションビジネスは、さらに予測困難になるでしょう。しかし、ものづくりなど「思いを形にできる」人はいつの時代も強いと確信しています。オーバーストアに陥っても、ファッションはなくなりません。高校生にはこれから、「自分で作って自分で売る」技術をぜひ身に付けてもらいたいです。好きなことを見つけ、自ら追い求めて仕事する人をめざしてください。1932年創業の■績・ニットメーカーの■代目代表。日大山■高等学校から文化服装学院へ進学、東京のアパレルメーカー■務を経て■■。アパレル■び■ブランドを設立し2001年「M.&K■OKO」デビュー。■■製ニット■は■■のラグジュアリーブランドに採用、世界で■目される。山■を■■に国内生産にこだわり、多色■みニットの「M.&K■OKO」「F■GAF■GA」等を■開。佐藤繊維株式会社代表取締役社長糸作家/デザイナーイタリアで出会った糸に衝撃を受け商品製作に没頭ボクシングで世界をめざした高校時代デザイナーに進路変更し専門学校へ進学米大統領夫人がニットカーディガンを正装として着用した日2009年1月、オバマ米大統領就任式が世界に中継されましたが、隣のミシェル夫人が着用していたカナリアイエローのカーディガンは、当社がフランスのラグジュアリーブランドに卸した極細モヘア糸で作られたニットです。夫人は屋外での就任式だけでなく、その後の晩さん会でもこのカーディガンを着用しました。これまで正装の席でニット着用は敬遠されましたが、大統領夫人によって、ニットが初めて正装として認知された瞬間でもありました。この報道がきっかけで全国の百貨店から出店のお話を頂き、現在は22店舗を展開しています。高校生は「自分で作って自分で売る」技術習得を■■ ■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■校■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
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