まるおか はるか▶群馬県出身。高等学校を卒業後、群馬調理師専門学校に入学。専門学校で料理の基礎や技術を習得し、卒業後は株式会社帝国ホテルに入社。帝国ホテル東京17階の鉄板焼「嘉門」に配属され、4年間勤務。2024年6月より宴会部門の担当へと異動し、お客様に自慢の料理をお届けしている。まるおか はるか▶群馬県出身。高等学校を卒業後、群馬調理師専門学校に入学。専門学校で料理の基礎や技術を習得し、卒業後は株式会社帝国ホテルに入社。帝国ホテル東京17階の鉄板焼「嘉門」に配属され、4年間勤務。2024年6月より宴会部門の担当へと異動し、お客様に自慢の料理をお届けしている。コロナ禍での下積みを乗り越えて現場に 2020年4月に入社した際は、世の中はコロナ禍の真っ只中でした。レストラン業界も影響を受けていたため、半年間は新人研修をリモートワークで受けていたり、緊急事態宣言のときは自宅待機になるなど、イレギュラーなことが多かったと感じています。そのため、出勤できる日が限られており、継続して鉄板焼での焼き方を練習することも難しい状況でした。 その後、少しずつ出勤することができるようになり、そこから本格的な下積みが始まりました。初めはお客様の前で料理を仕上げる「焼き手」はできないため、ランチとディナーの仕込みを繰り返しながら、鉄板焼での焼き方などを学びました。そこから2年ほど経ち、焼き手も任せてもらえるようになってからは、ランチの営業時間中に焼き手をしながらディナーの仕込幼い頃から母と一緒に料理をすることが好きで、ずっとキッチンに立っていた記憶があります。そのため、成長してからも、なんとなく料理の世界に入っていくのだろうなと感じていました。進路を決めるときも、ガイダンスで専門学校の方が料理を披露してくださったことで、料理の世界に入りたいという漠然とした気持ちが形になりました。 専門学校では、和・洋・中の料理を経験したうえで、味だけでなく、五感で楽しむことができるフランス料理の面白さに気付くことができたため、卒業後はフランス料理に挑戦したいと考えていました。その想いや先生からのアドバイスもあり、他の会社を全く考えることはなく、帝国ホテルに入社することを決めました。コロナ禍での下積みを乗り越えて現場に 2020年4月に入社した際は、世の中はコロナ禍の真っ只中でした。レストラン業界も影響を受けていたため、半年間は新人研修をリモートワークで受けていたり、緊急事態宣言のときは自宅待機になるなど、イレギュラーなことが多かったと感じています。そのため、出勤できる日が限られており、継続して鉄板焼での焼き方を練習することも難しい状況でした。 その後、少しずつ出勤することができるようになり、そこから本格的な下積みが始まりました。初めはお客様の前で料理を仕上げる「焼き手」はできないため、ランチとディナーの仕込みを繰り返しながら、鉄板焼での焼き方などを学びました。そこから2年ほど経ち、焼き手も任せてもらえるようになってからは、ランチの営業時間中に焼き手をしながらディナーの仕込いた幼少期が今に繋がる母と料理をしていた幼少期が今に繋がると一緒に料理をすることが好ッチンに立っていた記憶があり、成長してからも、なんとなく入っていくのだろうなと感じてを決めるときも、ガイダンスでが料理を披露してくださったこ界に入りたいという漠然としなりました。は、和・洋・中の料理を経験したでなく、五感で楽しむことがで理の面白さに気付くことがで後はフランス料理に挑戦したした。その想いや先生からのり、他の会社を全く考えることテルに入社することを決めまんのプレッシャーを乗り越えて自信とともにさらなる高みへたくさんのプレッシャーを乗り越えて確かな自信とともにさらなる高みへ調理のスペシャリストに聞きました調理のスペシャリストに聞きました帝国ホテル 東京帝国ホテル東京調理部調理部鉄板焼「嘉門」※取材時鉄板焼「嘉門」※取材時丸岡 はるか さん丸岡 はるか さん帝国ホテル 東京帝国ホテル東京調理部調理部鉄板焼「嘉門」※取材時鉄板焼「嘉門」※取材時丸岡 はるか さん丸岡 はるか さん
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