東北芸術工科大学 卒業生インタビュー

阿部 真也

阿部 真也さん

日産自動車株式会社
カーデザイナー
東北芸術工科大学 デザイン工学部プロダクトデザイン学科卒業

自分からアクションを起こして、未来を開く

自分からアクションを起こして、未来を開く

現在

 インテリアデザイナーとして車の内装をデザインする仕事をしています。カーデザインは、外装はもちろん、インテリアについても、ステアリング、シート、インターフェース、たくさんの小さなパーツも含めて、目に見えるところ、触れるところ全てをデザインします。絵を描くのはもちろん、実際にデータを取り、モデルを作って何度も検証します。スケッチを描いて世界観やテーマを提案するだけでなく、実際に使用する素材やパーツの細かな合わせ方、質感、色味、使い心地、乗り心地、そういったものを含めて考えながらデザインするので、とても難しいです。でも、そこにすごくやりがいを感じています。
 インテリアデザインについては、大学では学ぶ機会がなかったので、何も分からない状態からのスタートでした。全て初めてのこと、勉強しながら仕事をしていますが、分からないところは周りの先輩が教えてくれますし、実車を見て触れることで得られる気付きがあります。インテリアのパーツは人が触るところが多いので、ただかっこいいだけではダメなんですよ。シフトノブだったら、握り心地だったり、スイッチの押しやすさだったり、人間工学に基づいた厳しい設計基準をクリアしたデザインが要求されます。そういうところが難しいのですが、仕事をする度に、どんどん知識や経験が増えていく実感があり、面白いです。

現在

在学時代

 1年生の頃から、車に限らず家具やグラフィックなど、いろいろなジャンルの知識と技術が身に付けられました。企業との産学連携の授業があって、アウトドアメーカーのコールマンや、自動車メーカーでは2年次にスバル、3年次にはダイハツの課題に取り組みました。どの企業との授業があるかは企業側のタイミングにもよりますが、自動車以外の企業とも一緒に産学連携する機会があって良かったなと感じています。
 プロダクトデザイン学科には、1年生のときから家具、家電、空間など、それぞれの分野でプロダクトデザイナーを目指している人がいて、みんなライバル意識がすごく高いんです。課題や制作で、誰かが何かいいアイデアを出したり、いい見せ方をすると、すぐにそれを超えていこうとする。みんな一番を取りたがって、バチバチと火花を散らしているんですね(笑)。それが全然、嫌味でなくて、すごく楽しかったです。そうした環境でプロダクトを学べたことが僕にはとても有意義でした。
 また、教授との距離が近くて、学生に合った学びの機会を用意してくれたり、就職のアドバイスやサポートをしてくれたこともありがたかったですね。さらに先輩との距離も近いので、自分が求めている情報やスキル、そしてやるべきことが常に見える、将来のデザイナーとしての方向性を模索するに十分な情報がたくさんある環境でした。自分で動いたら動いた分だけ、全てが経験になって、結果その経験が自分自身にとっての財産になるので、大学は自分の目標に近付くための道を作っていく場所なんだと感じていました。

在学時代

未来

 自動車の開発には4、5年かかります。今後、自分がデザインを手がけた車が、展示されたり、街を走っている姿を見たら、さらにやりがいを感じるんじゃないかなと思いますね。
 やっぱり僕は車のデザインが好きなんですよね。インテリアの人間工学とスタイリングが合わさったデザインや、シートや小さなスイッチの形状、そしてエクステリアデザインも。自分の強い意向を表現して、きれいな美しいもの、面白いものをつくるカーデザインは、プロダクトデザインの究極とも言えると思っています。そして、車は風景の一部になります。人の目にたくさん映るプロダクトなので、それが自分の手で生み出せたらすごく面白いだろうな、とわくわくしています。
 自分がデザインしたいと思うのは、自動運転などの技術が進化してライフスタイルが変わっても、記憶に残るような車です。先人たちが手がけたような名車がつくれたら、と思います。すごくドリーミーな感じですけど(笑)。

未来
齋藤 萌

齋藤 萌さん

山形市農業協同組合(JA山形市)
総務課員
東北芸術工科大学 デザイン工学部グラフィックデザイン学科卒業

人と地域と農業と デザインで担う新たな役割

人と地域と農業と デザインで担う新たな役割

現在

 総務課の課員として、職員の出勤簿・休暇届の管理などを行うほか、広報を担当しているので、JA山形市の広報誌を制作したり、貯金などの信用事業、一般の保険業務にあたる共済事業、不動産事業などの販売促進のためのポスターやチラシ、ATMに設置している紙幣袋のデザイン、ホームページの更新作業、農業新聞の記事執筆なども行っています。先日は、営農部署の職員が研究大会に出場することになり、パワーポイントの資料作成なども行いました。
 これまでJA山形市にデザイン担当者は不在で、入組当初は、例えばテキスト情報だけを渡されることも多かったのですが、今は具体的にこうしたいという要望や意見ももらえるようになりました。
 農家の方は、おいしい野菜を作るための努力は常にしていますが、外に発信する力が弱い印象があります。そのPRを私たちが代わりに行うことで、販売促進につなげられると思います。「山形セルリー」もしっかり広報することで県外での認知が高まり、売り上げもV字回復しました。
 デザインは、組合員の皆さんの所得につなげるために、組合員の皆さんのお金を使ってやっていることを忘れないようにしています。きちんと成果を挙げられるように、生産物の良さを知り、生産者の思いを聞いてデザインすることを大切にしていますね。日々、より良いものを作りたいという思いで努力しています。

在学時代

 高校生の頃は「将来はものづくりに関わる仕事ができたらいいな」くらいのフワッとした気持ちでいました。入学前から、グラフィックデザイン学科で地域と連携したプロジェクトを多く行っていることは知っていて、魅力的な取り組みだと感じていましたが、具体的に農業の分野で本格的に何かを作りたいと思うようになったのは芸工大に入学してからです。大学校舎の裏にある畑に野菜を植えて、芽が出たらそれをスケッチする、そんな授業がありましたし、授業以外でも、伝統野菜の「悪戸(あくど)いも」のパンフレットをデザインしました。そうした経験を経て、少しずつ農業関係のデザインに興味を持つようになりました。制作のために、農家の方に直接お話を伺ったりすると、皆さん温かく受け入れてくださるのもうれしかったですね。3年生の時には、山形の伝統野菜の、旬の時期が分かるグラフをデザインしたり、卒業制作では山形赤根ほうれん草の写真集を作りました。
 その山形赤根ほうれん草の写真集をJA山形市の採用面接に持っていったのですが、写真集に農業関係者がたくさん写っていたらしく、「これはあの人だ」「あの先生が写ってる」などと反応が大きかったんです(笑)。あの時は驚いたのと同時に、人と野菜、農業のつながりを実感しました。

未来

 今後はデザインの仕事の幅を広げていけたらいいなと思っています。JA山形市では、不動産事業を行っていて、組合員所有のアパートの入居率を上げるためにリノベーションも行っているので、間取りや内装のデザインなども積極的に手掛けていきたいです。

未来
JA山形市の広報誌『わかば』、エコバック、キャップ、キューブ米、パンフレット、ワインラベルなど、全て齋藤さんがデザインを手掛けている。ワインラベルは、取引先よりプライベートブランドを作りたいとの要望があり、職場の了解を得て制作した。
小田島 俊子

小田島 俊子さん

株式会社ニコン
プロダクトデザイナー
東北芸術工科大学 デザイン工学部プロダクトデザイン学科卒業

モノのデザインから広がる可能性。新しいことにチャレンジできる面白さがここにはある

モノのデザインから広がる可能性。新しいことにチャレンジできる面白さがここにはある
小田島さんがデザインを手掛けた「COOLPIX」シリーズのカメラ

現在

 プロダクトデザイナーとして入社し、当初はコンパクトデジタルカメラのデザイン、その後はをビジネス製品が専門のチームに移り、主に顕微鏡のデザインを手がけました。
 一般消費者向けに製品を提供するBtoC (Business to Consumer)の場合、例えばカメラであれば嗜好品なので、必ずしも生活に必要なものではないんですよね。だからこそ人の心に響いて、「欲しい!」という感情を揺さぶることができる造形にしないといけなくて。そのため市場調査をしっかり行いつつ、誰のためのどんな製品なのか、ちゃんと答えが出せるよう心がけながらデサインすることを大切にしてきました。その出来事を通して学んだのは、相手の立場に立って、伝わりやすい言語で説明できるようにならないといけないということでした。相手が設計の人であればちゃんと数字で語れるようにならないといけないし、マーケティングの人であればどんなユーザーが何割・何人支持したとか、より相手に伝わる言い方を考えないといけないんだなって思いました。加えて重要なのはやっぱり対話力や交渉力ですね。昔の自分は、かっこいい造形ができてスケッチが上手だったらデザイナーとしてやっていけると思っていたんですけど(笑)、実際に社会人になってみて、そういった対話の力こそすごく大事だとわかりました。
 またBtoB(Business to Business)の場合、その道のプロである方たちの悩みや問題を解決できるものでなくてはいけないので、そういう「課題解決のための製品」であることを意識しながら、どうすれば自分たちの製品が使いやすいものになるかを深掘りしながら答えを見つけていくことを大切にしてきました。

小田島さんがデザインを手掛けた教育顕微鏡「ECLIPSE Ei」
小田島さんがデザインを手掛けた教育顕微鏡「ECLIPSE Ei」
小田島さんがデザインを手掛けた教育顕微鏡「ECLIPSE Ei」

在学時代

 学生にとって大切なのは、やっぱり広く勉強することですね。芸工大生の特権って、デザインの学部にいながら芸術学といった分野まで幅広く勉強できるすばらしい環境にいられることだと思うんです。しかも社会に出ると、直接ではないにしても何かしらその時の学びがつながったりするんですよね。なので、学びの範囲を絞るのではなく広げていってほしいなと。それは受験生の皆さんにも言えることで、まさに自分の夢に向かって進むための学部選びなどしていると思うんですけど、もし進学できたのが第一希望の学科じゃなかったとしても、自分から行動さえすればいろんなことが学べるはずですから、ぜひ視野を広く持っていてほしいですね。

在学時代

未来

 自ら希望してコミュニケーショングループに異動しました。ロゴや化粧箱、パンフレットのグラフィックデザイン、ムービーや展示ブースのデザインディレクションなどのお仕事を中心に行っています。
 社会人になって気付いたんですけど、グラフィックデザインからプロダクトデザインに移るのって結構難しいんですよね。どうしても3Dソフトの使い方を覚えないといけないので。その点、最初からプロダクトを学んでおくと学生のうちからCADスキルが持てるので、それはかなりの特権だなと。しかもプロダクト技術が高い人はグラフィックの技術も高かったりするので、すごく可能性を広げていける分野だと思っています。

未来
金澤 馨

金澤 馨さん

元興寺文化財研究所
文化財修復士
東北芸術工科大学 芸術学部文化財保存修復学科卒業

修復を望むほど大事にされているものは、全て文化財

修復を望むほど大事にされているものは、全て文化財
『能登内浦のドブネ』(真脇遺跡縄文館蔵)を修復する金澤さん

現在

 文化財というのは、大きく分けると地下に埋まっていた埋蔵文化財と、個人やお寺、美術館、博物館で受け継がれ残ってきた伝世(でんせい)の文化財があります。私の仕事は、伝世の資料、文化財を修復することです。
 専門は民具。農機具や、漁業に使ってた網、作業のときに着ていた藁でできた合羽などの、資料の調査と修復がメインですね。掛け軸や屏風など、いわゆる装潢(そうこう)資料といわれるものは対象外となっていて、それ以外のほとんどが修復の対象となっています。
 依頼品の輸送は現地に出向き、自分たちで梱包して運んできます。研究所には、荷室の温度調整ができたり走行中の衝撃が少ないように設計された、美術品輸送に適したトラックがあるので。また、遠方出張で1週間ほどの修復作業になることもあります。その場合は朝から晩まで修復してホテルに戻り、また朝に出かけて修復、という繰り返しになります。大学のときから「体力仕事だな」という印象がありましたが、やっぱりその通りでしたね(笑)。
 当研究所では国宝や重要文化財のほか、個人やお寺さんが所有されているものも修復します。文化財として指定されているかいないかで、かけられる修理費用の違いはあるわけですが、そういった格付けのようなものにあまり縛られずにやっていくということを大切にしています。修復をお願いする方が大事にしているものであれば、それは全て文化財だろう、ということです。

金工品『鉄蟷螂』(愛知県美術館蔵)の修復の様子
金工品『鉄蟷螂』(愛知県美術館蔵)の修復の様子
金工品『鉄蟷螂』(愛知県美術館蔵) 修復前
金工品『鉄蟷螂』(愛知県美術館蔵) 修復前
金工品『鉄蟷螂』(愛知県美術館蔵) 修復後
金工品『鉄蟷螂』(愛知県美術館蔵) 修復後

在学時代

 最初は、実家から通える範囲でいい大学があれば、と思っていたのですが、オープンキャンパスに参加してもあまりピンとくるところがありませんでした。そのときにちょうど札幌市でいろいろな美術系大学が集まった合同の大学説明会が開催されていて、そこで芸工大を知り、初めて「文化財保存修復」という分野を知りました。
 心に残っているのは、石を彫る授業。お寺によくある五輪塔をつくる授業です。先生が石をたくさん買ってきて、1人ずつ指定された形に彫っていくんです。それまで修復の授業では、まず完成品があって、それが年数が経ち壊れてきたところで何をしていくか、どういうことが必要かを考える勉強をしていましたから、素材の最初のところに手をかけるのは新鮮でした。全然うまくいかないのですが、やっている中で道具の使い方や力の入れ方がわかってきたりして。石が欠けたら接着してもう1回、という形で、実体験から修理につながることを学べました。作品ができる前のことを考えられるようになったのは、大きかったですね。

『石造十一面観音立像』(元興寺蔵)の修復の様子
『石造十一面観音立像』(元興寺蔵)の修復の様子

未来

 私が大学で専門的に学んだのは、近代、現代の彫刻などの立体作品の修復で、それを軸にして経験を積んでいきたいと思っています。素材や技法に限定せず、いろいろな修復に携わっていきたいという思いが、大学のときからずっとあります。その上でできるようになりたいのは、伝統的な技法や漆を使った作業、木材加工の技術などですね。修復は「この形にしなければならない」という決まりがあるわけではなく、その時々にいろいろな選択をしていかなければなりません。自分に技術がないばかりに可能性を狭めるようなことがあると残念ですから、独学で追いつける範囲は限られていますが、少なくても知識はつけていきたいなと思います。
 この研究所をはじめ、活躍されている方々を見ていると、やはり練度や習熟度がすごいんです。皆さんが苦労して長い時間かけてやっていらっしゃるので、後に続いていきたいです。

未来

原文は東北芸術工科大学「web magazine GG」をご覧ください。

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