教授に聞く、この学問の魅力

東京造形大学 造形学部
デザイン学科 写真専攻領域

 写真はアートであり、古くからの記録手段でもある。デジタル化が進んだ今では、S N S 上でのコミュケーションツール、メモ代わりとしても活用されるなどその人の捉え方、使い方によってさまざまに変化してきた。
 こうした現代社会において、写真を撮るという行為自体あまりにも身近過ぎて、学問として学ぶということを見過ごしている人もいるのではないだろうか。
 「写真を学ぶことは視点を獲得すること」と語る、東京造形大学・デザイン学科写真専攻領域の首藤教授は、10代の時に撮りはじめた天文写真でみずからも”視点を獲得”してきたひとりだ。写真家・幻燈写真師としても活動する首藤教授の写真教育に関する話を伺ってきた。

首藤 幹夫教授

首藤 幹夫

1967年大分県生まれ。東京綜合写真専門学校卒業。
1991年よりフリーランスの写真家として活動を始める。朝日新聞読書面での5年に渡る連載、劇団第七病棟の公演ポスター、劇団唐組の公演記録、パンフレット撮影など、音楽、映画、雑誌、書籍と活動の場は多岐にわたる。
1993年よりさまざまなアーティストと共演しながら、複数台のスライド映写機を自身で操作し上映する「幻燈写真」作品(「幻燈写真劇場―唐十郎の世界へ」「幻燈写真2020.vol1路地をめぐるいくつかの断章」など)を多数発表。
2008年劇場公開の写真映画「ヤーチャイカ」(監督:覚和歌子・谷川俊太郎)では撮影監督を務めた。
2012年より岩田ちえ子と「ロマン写真館」を主宰。現在は、日常的風景における差異について作品作りをすすめている。著作として「いつもそばに本が」(ワイズ出版)がある。
2014年より東京造形大学特任教授、2018年より東京造形大学准教授、2022年より東京造形大学教授。

写真という学問は
自分の興味に気づくことからはじまる

写真という学問は自分の興味に気づくことからはじまる

獲得した視点をみがいていく

写真を学ぶ上でいちばん大事なことは何でしょうか。

 スマホの普及もあって、今や世界中の誰もが写真を撮る時代になっています。しかし、写真について深く考える人は、ほとんどいないのではないでしょうか。いわゆる“いい写真”“映(ば)える写真”のことを考えている人は、たくさんいるかと思います。でもそれは自分の撮りたいものを純粋に考えているのではなく、社会的に与えられたテーマをどれくらい引き継ぐかということにしか過ぎないわけです。それは決して悪いことではなく、そのほうがみんなに拡散、発信できる、だからそれが“いい写真”とか“映える”といわれる理由なのかと思います。
 写真は“純粋にものを見る”ことによって作品化しますが、そこには客観的な視点が重要になります。たとえば公園で自由に撮影する授業のあと、全員のでき上がった写真を机に全部並べて見比べてみると、風景を撮っている人、生き物を撮っている人など実に多彩。同じ時間、同じ場所で撮っているにも関わらず、見ているものが違います。他人の写真の中に自分には見えていなかった興味の対象があるのです。たくさんの写真を見比べることで、どれが“いい写真”かということではなく、それぞれの写真を読みながら客観的に写真について考えていきます。これが写真を学ぶ上で大切な「客観的な視点の獲得」です。
 現代において写真を学ぶということは、見ることの客観性に気づき、自らの視点を他者へ伝えていく方法を考えることです。それが写真表現につながっていきます。作品制作の過程はさまざまですが、それに対応して一人ひとりの学生に対して教員が丁寧な講評をおこなっているのが、本学の特徴だと自負しています。

技術を学ぶ授業ではどのようなことを?

技術を学ぶ授業ではどのようなことを?

写真を学ぶ上で必要なことは何ですか?

 写真専攻領域が大切にしている技術として、昔ながらの暗室作業があります。1年次のフィルム現像や引き伸ばしなどの基礎的な技術から、バライタ印画紙でのファインプリントや、暗室でカラープリントを制作する上位の授業がおかれています。また、技術を中心とした授業としては、スタジオでのライティングの授業や、4×5など大判フィルムでの撮影の授業もあります。さらにデジタル出力では、カラーマネージメントや細かい調整を施すレタッチを習得し、作品制作へつなげる技術を習得しています。
 一般的にデジタルが普及しすぎたせいか、最近ではフィルム撮影での作品作りに意欲的に取り組んでいる学生が多くなっています。フィルム撮影や暗室作業は最初のうちは失敗することが多いです。しかし、そこには新しい発見もあって、思いがけない表現が生まれる可能性があります。また、写真表現の授業では、手作り写真集(ZINE)の制作や、学内や学外での展示発表をする機会もあり、額装などオーソドックスな壁面展示の実習から、映像や立体を使った空間インスタレーションまで、自らが志向する表現を展示の中で自由に追求できる環境を用意しています。

写真を通して地域社会と連携

写真を通して地域社会と連携

何か特別な授業はありますか。

 2年、3年次にエリアスタディという授業を行っています。昨年の2年生は多摩ニュータウンという大型団地で、1年間かけて地域の人たちと交流しながらフィールドワークを行いました。団地内の商店街の空き店舗で学生たちの作品の展示も行ったりするわけですが、そこに立ち寄った住民の方から作品の感想などを聞くこともあり、写真で人々を喜ばせることの意味を知る良い機会にもなっています。
 写真を撮るという行為は色んな場所に行けたり、色んな人と出会うことができるんですね。それは「一次情報を得る」ということと同じで、今からの社会にとっても重要な要素です。エリアスタディで学んだことや物の見方が分かるということは、「写真がうまく撮れる」ということではなく、「社会の構造が理解できてくる」ということです。卒業後、写真から離れたとしてもこれは大きな財産になると思います。

「名前のない職業」を創出する卒業生たち

「名前のない職業」を創出する卒業生たち
「名前のない職業」を創出する卒業生たち

卒業生の進路についてお聞かせください。

 私が社会に出た頃の写真の仕事といえば広告代理店や出版社、新聞社など進路がはっきりとしていた時代でした。今の学生の保護者の方も写真を学ぶといったらそういう進路なんだろう、と理解されている方が多いと思います。
 もちろん、現在もそういった進路を選択する学生もいますが、近年の傾向としてみずから創出した「名前のない職業」へ進む学生たちが増えてきています。例をあげますと、ひとつの家族を長く取材してそのアルバムをプレゼントするプロジェクトを立ち上げた卒業生もいますし、写真の古い技法をリバイバルさせて第一人者として活躍している卒業生などもいます。
 現代ではWebページやSNSなどで写真を使わない業種はないと思います。これだけ汎用性があるにもかかわらず、写真のことを社会的に考えないのは、時代遅れなのではないかという気さえします。たとえば、小学生や中学生に対して学生たちが写真を教えるようなことも今後の展開として考えていきたいです。

興味のない興味を風景の中に見出してほしい

興味のない興味を風景の中に見出してほしい

最後にこの学問を志す高校生へメッセージをお願いします。

 これだけ写真が広まっている時代の中で、写真について考えることは、学校の美術の授業で絵を学ぶことと同じような身近な立ち位置になってくるのではないかと思います。写真を社会的に考えなくてはならない今だからこそ、「一緒に写真をやってみないか!」とみなさんを本学へ誘いたいと思います。
 それぞれの興味は多岐にわたると思うので一言ではいえませんが、「興味がないこと」も含めて興味だと思います。その興味を風景の中に見出してあなただけの視点を獲得していけばいいのです。そういう手助けを本学はやっています。

貴重なお話ありがとうございました。
(本ページの内容は「学びのすすめ_芸術系」と同内容です)

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